先週の土曜日(1/17)は「防災とボランティアの日」でした。1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、兵庫県南部を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生しました。最大震度7を記録したこの地震「阪神・淡路大震災」では、死者6,433人、負傷者約43,000人、全壊家屋約105,000棟という甚大な被害が生じました。練馬の自宅で出社準備をしていた私も、この時に尋常ではない揺れを感じましたが、31年前にはインターネットが現在ほど発達しておらず、テレビをつけても何が起こっているのかすぐには分かりませんでした。この時に現地で起こっていたことは、都市直下型大地震。想定を超える条件下で大混乱が発生し、即座に十分な初動展開ができなかったことは想像できます。
1月のまだ薄暗い早朝、倒壊家屋の下敷きになった人々の命を救ったのは、
現場に最も近い存在の人々でした。家族、近隣住民、通勤・通学途上の人など、たまたま居合わせた市民が、素手や近くにあった木材などで瓦礫を撤去しました。
倒壊家屋から救出された人々の約8割は、こうした市民による救助だったと言われています。そして次に大きな行動が起こりました。
全国から延べ137万人にのぼるボランティアの人々が被災地にやってきたのです。年齢も職業もバラバラな人々が、「何かできるのではないか?」という思いだけを頼りに神戸に向かいました。現地では、瓦礫の撤去、炊き出し、物資配布、避難所の設営・運営補助などの役割を担いました。これらは、どれも行政だけでは手が回らなかった仕事です。
一方で、
混乱も生じました。「何かできることはないか?」という思いで集まった多くのボランティアをコントロールする機能が存在していなかったのです。「どこに行けば良いのか分からない」「ニーズと人数が合わない」「ボランティアの宿泊場所がない」などの課題が浮かび上がったのです。こうした課題は、「善意があれば何とかなるだろう」という幻想を打ち砕きました。そしてこの経験を経て、日本は
「仕組みとして共助」を整備する方向に進み、ボランティアを前提とした災害対応システムが生まれる起点となりました。この結果、1997年を
「ボランティア元年」、1月17日を
「防災とボランティアの日」、1月15日から21日までを
「防災とボランティア週間」と定め、様々なイベントや啓発活動が行われるようになりました。
現在ではボランティア活動や災害対応は、
「自助(自分)×共助(地域・市民)×公助(行政)」という三層構造で語られるようになりました。CASAを運営していると三層構造の大切さを感じますが、公助(行政)が全てをカバーするのは不可能です。
まずは「自助」をいかに推進するか、
そして「共助」のしくみをどのように作るかに心を砕いています。
「自助」では、「地域の実家再生、『いつもそこにある!いる!』づくり」を活動テーマとして、
365日無休でオープンに努めています。
「共助」では、CASAという「居場所(拠点)」を中心に、「毎朝のあいさつ」を交わす多くの人々、私道花壇の「季節の風景」を愛でるさらに多くの人々と
「笑顔・あいさつ・うるおいに満ちた地域づくり」を目指し、日々の交流を積み上げています。「阪神・淡路大震災」の時にまず力を発揮したのは「自助」であり「共助」だったことを再確認し、CASAでも
「事件は現場で今、起きている」を肝に銘じ、これからも活動していこうと考えました。
小沼 好宏