夏休みも半分が過ぎてしまいました。CASAに来てくれる子どもたちからも、「そろそろ宿題やらないと…ヤバイ」の声も多く聞こえてきます。私が小学2年生の夏休み前に経験した
「小さな出来事」と「それらから学んだ事」です。夏休み直前の約1ヵ月間、母の故郷である新潟の小学校に臨時でミニ転校したことがあります。母の父、私の祖父の病状が思わしくなく、母が看病に行くことになったのです。2学年上の姉はしっかり者だったので、東京に残していっても安心。
「腕白坊主」の私は信用がなかったのでしょう。詳しい転校手続きはわかりませんが、田舎の小学校に通うことになったのです。
母の故郷は、米どころ新潟を象徴するような一面水田が広がる小さな村にありました。恵まれていたのは、ハトコ(親同士がイトコ)のケン坊が同い年の2年生、
「ガキ大将」です。登校初日、「よしひろ~、いこぉ~おぃや~!」と仲間5~6人と迎えに来てくれました。学校は田んぼの中の小さな山の上にありました。階段は50段ほどあったでしょうか。階段を登り、昇降口へ。私は袋の中から上履きを出そうとしました。でも不思議なのです。下駄箱にみんなの上履きはありません。みんなはぬいだ靴を下駄箱へ入れると裸足のまま歩いて行きました。
上履きなんて大自然の中の小学校にはなかったのです。みんなは靴下も履いていません。私はこっそり靴下を脱いで、上履きの入っている袋に隠しました。
各学年1クラスの小さな学校で、2年生は20人ほどでした。席はケン坊の隣にありました。担任は中野先生という優しい女性の先生でした。授業はのんびりムード。休み時間になると、みんな校庭へ一目散。みんな裸足です。最初だけビックリしましたが、すぐに慣れました。数日後の算数の時間、中野先生に「小沼君」と呼ばれ、「東京の学校では九九をどこまでやっていますか?」と聞かれました。「全部、やってるよ」と答えると、「では、小沼君に九九を言ってもらいましょう」とのご指名です。1の段から始めて、2の段、3の段、…、6の段の途中まで来た頃です。クラスの中の空気が動くのを感じました。「うわぁぁぁ~、すげえぃやぁ~」という声が、あちこちから聞こえてきました。「…、九・七・63、九・ハ・72、九・九・81」までたどり着きました。すると、隣の席のケン坊が、「よしひろは、おい(おれ)の親戚だいやぁ~」と叫び、拍手が起きました。この時に、
「勉強ができるって、何だか気持ちいいなぁ~」と感じたことをハッキリ覚えています。このクラスでは、まだ2の段と5の段を練習中でした。この頃の私は、勉強には全く興味のない「腕白坊主」でしたが、小学校高学年、中学生へと勉強に興味を持つようになった原点が、
この時の「快感」にあったと思っています。
一方で、ある日の校庭で、相撲大会が始まりました。私はチビでしたが、小学1年から近所の石神井警察署の道場で柔道を習っていたので、相撲にはそこそこ自信がありました。この日、私も何回か相撲をとり、負けませんでした。しかし仲間の相撲を見ているとトシオ君という子がとても強いのです。トシオ君も小柄ですが強い。先ほど「ガキ大将」のケン坊と対戦し、上手投げでトシオ君が勝ちました。しばらくして、ケン坊が土俵に立ち「ひ~が~しぃ~、トシオ~海、トシオ海~」、「にぃ~しぃ~、よしひろ~山、よしひろ山~」と呼び出し、行司役になりました。呼び出されるままに土俵に立ち、トシオ君と向かい合いました。「はっきょい~、残った!」と行司役ケン坊の声。トシオ君と組み合うと、すぐにわかりました。強い。どっしりとしているのです。それでもお互いに攻め合い、いい勝負と思っていたその時、ふわぁ~と体が浮き背中から土俵に落ちました。
真上には青空が広がっていました。とてもきれいな夏空でした。この日に限らず、その後も、トシオ君、ケン坊、その他の友だちと相撲を楽しみました。トシオ君に勝つこともありましたが、通算では、トシオ君が
文句なしの「横綱」でした。東京で相撲を取ったり、柔道場で投げられたりすると、悔しい気持ちの方が大きかったと思います。しかし、トシオ君に最初に投げられあのた時、あの青空が目に飛び込んできた時は、悔しさよりも
「清々しい気持ち」でした。トシオ君に相撲で投げられた経験から、
「上には上があるものだ」を学びました。
今になってしみじみと実感します。小学2年生の夏、新潟の田んぼの中の小学校での
「小さな出来事」から実に「大きな事」を学んだなぁと。夏休み、CASAに来てくれる子どもたちにも、日々の「小さな出来事」から「何かを学んで欲しい」と願います。今は気づかなくても、人生のある瞬間に、あの「小さな出来事」が顔を出すものです。
CASAは「小さな出来事」を「提供できる場」でもありたいと思います。
小沼 好宏